Interview w/ Yuki Kadono

日本スノーボード史を書き換え続ける若武者 角野友基・インタビュー

2020年2月29日(現地時間2月28日)、アメリカ・コロラド州で開催された「US OPEN」のスロープスタイルにて、同大会同種目での自身2度目となる優勝を果たした角野友基。世界最高峰の大会とも称される「US OPEN」以外にも、これまでに「AIR+STYLE」や「X GAMES」といった世界でも限られたトップライダーしか参加を許されない招待制のビッグコンテストで表彰台の頂点を射止めるなど、日本のスノーボード史に幾度となく名を刻んできた世界的なコンペティターのひとりである。そんな彼に迫った。

スノーボードをするのが当たり前の環境を作ってくれた

まずはスノーボードを始めたきっかけを教えてもらえますか?
「8歳のときに、スノーボードを趣味程度にやっていたアウトドア派の父親の影響で始めました。ほぼ同時期にスケートボードもサーフィンもやるようになったんですが、気がつけばスノーボードにハマってましたね」

どの瞬間に「ハマった!」と感じましたか?
「うーん。記憶にないっていうのが正しい答えかもしれない(笑)。僕は兵庫県三木市の出身で、雪がほとんど降らない環境だからスノーボードが日常にある生活を送っていたわけじゃありません。だけど、いつの間にかスノーボードをするのが当たり前っていう環境を父親が作ってくれていたんです。最初のシーズンから毎週のように雪山には通っていたし、そのオフシーズンには毎週金曜日になると学校が終わってからスノーヴァ神戸フリー区っていう室内ゲレンデに連れて行ってもらってました。小学校のときは野球もしてたけど、実はスノーボードができる金曜日の夕方がいつも楽しみで(笑)。そうそう、そこで(岡本)ケイジくんに出会ったんですよ。その次の冬には雪山で一緒に滑ってもらったりもしました。でも、神戸フリー区は通い始めて1年でなくなっちゃって…。そのオフシーズンはどうするかなと思ってたんですけど、ケイジくんから神戸KINGSっていうエアマットを使ったジャンプ練習施設の存在を教えてもらって、小学高学年から中学生の間は、そこに通い詰めてました」

どのくらいの頻度で通っていたんですか?
「中学生の頃は学校に行かずに昼くらいまで寝て、それからKINGSに行って滑る日もあったくらい(苦笑)。実は当時イジメがあって、普通なら『学校に行け』って言われるのに、親が学校じゃなくてKINGSに行くことを許してくれたのは大きかったです。スノーボードがあったから社会と繋がっていられたっていうか…。スノーボードをしていれば年上の仲間が自分のことを認めてくれていたし、逆に学校に行って同年代のヤツらと話をしても『え?  何?  昨晩のテレビ?』『自分はスノーボードしてるから知らない』って感じで話も合わなくなっていて(笑)。しかも、ちょうど学校に行かなくなった時期っていうのが、『スノーボードで生きていこう』って決めたときだったんです。14歳で『プロスノーボーダーになる』って動き始めていたから。そのシーズンはTHE SLOPEを始め国内の大会では負けなくて、シーズン終わりに出場した海外の大会でも調子が良かったんです。で、その翌シーズンにAIR+STYLEに招待されたんですよ。そこでボコスカにやられて…。これじゃ通用しないってことを知りました。でも、この世界で勝ちたい、もう負けたくないって、そのときに完全に火が点きましたね」

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