日本の垣根を超えた革命児 五十嵐カノア・インタビュー
サーフィンという競技において、日本は世界に遅れをとっていたと言ってもあながち間違いではない。五十嵐カノアが出現するまでは。この1997年生まれの若者は、それまでの日本人サーファーの常識を覆し、まったく異なるアプローチで世界のトップシーンへと躍り出てきた。両親がアメリカに移住をした経緯から、カリフォルニア州にあるサーフシーンの中心地、ハンティントンビーチでサーフィンを覚え、腕を磨いてきたのだ。
その甲斐あって、ローティーンの頃から才能を発揮。アマチュアのコンテストでそれまでの記録を打ち破る結果を残す。そして、幼少期から「(サーフィンツアーの最高峰である)CTに入ることしか考えていない」と語っていた父親のツトム氏の言葉通り、わずか18歳で日本人初のCT入りを果たしたのだ。その後の活躍もめざましく、サーフィンの垣根を超えて、さまざまな場面でその姿を目にするようになった。
2019年のCTランキングは6位。日本人が世界のトップ圏内にランクインしているということは、サーフィンをしている人からすると、驚異的という他ない。今や日本だけではなく、アジアを代表する世界的サーファーとしての地位を確立した五十嵐カノア。彼の生の声をお届けしよう。
Text: Susumu Nakano
Photo: Pedro Gomes
「そうだね。お父さんが昔からサーフィンをやっていて、楽しそうだなって思ったのがきっかけ。初めてサーフィンに興味を持ったのは、2歳くらいだったってお父さんからは聞いているよ」
「今から思えば、6歳のときに優勝したコンテストの後かな。地元のハンティントンビーチのサウスサイド(桟橋の南側)で開催されたキッズ・フォー・クリーン・ウェーブという子供の大会があって、そこで優勝できたんだ。そのときに心からサーフィンって楽しいって思ったよ」
「波に乗った瞬間だよね。飛んでいるように波の上を滑走していくフィーリングは、他のどんなアクティビティでも感じることができない最高のものだと思う」
「サーフィンは気軽に始められるスポーツだけど、サーフィンのツアーとかサーフトリップとかになると、どうしても荷物が多くなってしまう。旅先の波に合わせてサーフボードを何本か用意しなきゃいけないし、ウェットスーツが必要になるしね。大きな荷物を持って移動するのは本当に大変」